熊野古道:口熊野 山行報告

【ルート】JR紀伊田辺駅から滝尻までの口熊野

【山行日】12/10(日)~11

【参加者】3名  

  2019年1月にお伊勢さんの内宮から熊野古道・伊勢路を歩き始め、新宮からの中辺路、滝尻からの中辺路、高野山からの小辺路、紀伊田辺からの大辺路、阪南からの紀伊路を歩きつないで来ました。そしてこの度中辺路の口熊野を歩いて熊野古道のメインルートがすべてつながりました。丸4年かかりましたが紀伊半島の周回と横断などが歩ききれて満足しています。本宮道など歩き残していますがこれは追々の楽しみにしたいと思います。

 10日晴れ、女性二人を観光写真に収め10:10紀伊田辺駅から行動を始める。
蟻通神社近くの道分け石が紀伊路と大辺路そして中辺路の連結点であり、ここから高山寺に向かう。
大師橋を渡る。高山寺は紀伊路でお参りしたので立ち寄らず、右会津川の右岸をたどりあおきほどう橋を渡って道標に従えば200mで秋津王子安井宮跡です。
水路の上に石標と説明板がありました。ガイド図通り左会津川を渡り11:30須佐神社でランチタイム。
大谷橋を渡らずススキの揺れる堤を長閑と景色を楽しみながら歩く。熊野橋を渡ったところが万呂王子跡なのだがそれらしきものが見当たらない。
梅林のなかに木標があったが近所の花屋さんのお兄さんに聞くとあれはわからんなぁと言っていた。
ルートを外れて三栖廃寺塔跡があるので見に寄る。白鳳時代に創建された廃寺塔には自然石の心礎が残されている。
元の道に戻り潮見峠へ向かうバス道を越え右折れすれば橋の向こうに地蔵菩薩立像が見える。妙心寺派報恩時である。急坂を登ると石畳の道となり梅林を抜ける。大きなもみじの木があり、紅や黄そして薄緑で織りなす錦繍が品のある美しさを見せてくれている。13:00三栖王子社跡には立派な石碑が立てられ、
その横に「三栖山の檀(まゆみ)弦(つら)はけわが夫子が射部(いめ)立たすもな吾が偲ばむ」(万葉集 額田王の歌)の歌碑がある。下り坂になり舗装道路を挟んで古道の標識が見える。八上王子へは舗装路でも行けるのだが古道の山道を登る。
下になればまた舗装路を渡る。道が広い整備された道と狭いあまり歩かれてない道に分岐している。道標はない。
広い道を取ったが明かな農道で道標もなく違う。元に戻り狭い道をしばらく行けば道標があった。
「分岐につけとけ」と心の中で怒鳴っていた。農道がいろいろ交錯している。
 13:45
南方熊楠山中裸体撮影場所に出る。明治政府をも動かした熊楠は日本の自然保護運動の草分けで、
1月にもかかわらず煙草をくわえた半裸の写真はあまりにも有名である。新岡坂トンネル付近のルートは最近新しくなったようでHさんの最新版に従った。これはトンネルの東南口に出るもので旧道から

14:10
八上王子跡に着く。「待ちつきる八上の桜咲きにけり荒くおろすな三栖の山風」と西行が社殿に書き残したとされている。古い町並みを岡川に出て田んぼの中の田中神社に立ち寄る。
樟の巨木が鳥居に覆いかぶさっている。当初は王子谷ルートを考えていたが無難策をとり旧国道ルートを取った。富田川に出て中世の人たちがここで熊野詣のために禊をしたとされる水垢離場を見る。西行が亡き友を偲んだ歌碑がある。
15:00稲葉根王子に着く。枯れ葉を掃いておられて小生よりか幾分ご年配の男性にどこからと問われ京都と答えると自分は福知山から来ているとおっしゃられた。朱塗りのお社が大事にされている証であろう。「月一つ神楽のすみし田の上に」、「春風に一日の道長かりし」の句碑がある。バス停前のスーパーで食料を仕込んで行動を終えた。

 11日曇り、08:02JR紀伊田辺駅発のバスに乗り08:35稲葉根王子から行動を再開する。平成9年に川床から姿を現した樟に大古木を見る。市ノ瀬橋から見る富田川の白い川床は広く水の流れは穏やかで高い雲と相まって大らかでのんびりしている。川から少し離れ畦道を行く。
梅林の向日に朱色の鳥居と石碑があり一瀬王子かと思ったが違った。畔から民家裏の小径に入ると色づいた紅葉が見えその奥に一瀬王子が隠れていた。その昔は上皇や女院も岩田川を渡渉してこの王子に参詣したとのこと。
遠くに赤い橋げたの加茂橋が見える。路傍の庚申塚に道中の安全と無病息災を願う。
加茂橋の対岸に急坂が斜面にへばりついて見える。橋を渡り急坂に取り付く。こんなところによく集落ができたものだ感心する。登り切ったところで集落の人にどこから来たと問われた。
京都と答えるとこの辺りは熊野詣での京の人が住み着いた謂れがあると話された。
地名に加茂や清水(きよみず)があるのはそのためと言われた。そういえば市ノ瀬も大原にある。
花折地蔵を訪ねる。趣味のクラフトを並べたお店の女性に挨拶すると炊き込みご飯があるよと言われ、
アイスボックスの中に赤飯や高菜のおにぎりがあった。どれも200円。小生はおにぎりを買った。
千人供養塔を過ぎ国道に出れば鮎川王子跡に着く。石碑も祠もなく石標があるのみ。

荒れた階段があるので登って探してみる。階段はすぐになくなり手すりはあるものの急な荒れた山道となり登れどそれらしいものは何もなかった。時間と体力を使っただけのくたびれもうけであった。
鮎川新橋を渡り住吉神社で先ほど買ったおにぎりなどでお昼にした。社殿に沿って槇と無患子がくっついた夫婦樹がある。
お腹もくちくなったところで歩き始める。御所平と庚申塚を分ける道標があり先ずは前者を取ってから後者へ向かう。「そめし秋をくれぬとたれかいわた河またなみこゆる山姫のそで」(藤原定家)、のごし橋は渡らず梅畑の畦道に入る。青面金剛を祀る庚申塚にであう。アーチになった竹林の小径に明るい緑がやさしい。
大ウナギ碑や種々の石塔そして地蔵菩薩などが次々に出てくれば北郡(ほくそぎ)トンネルの上を越えている。大きな鉄橋のつり橋を渡る。西谷川出合の清姫の墓所におまいりする。バスの時間が気になりはじめ緩やかな登りでもペースを上げる。国道に出ればひたすら歩くのみ。

13:40滝尻バス停を過ぎ王子宮に詣でる。今回の旅はここが終点だが中辺路の本格的な山歩きはここからが始まりである。13:47小生もこれで中辺路の全コースがつながり行動を終えた。
14:03
のバスでJR紀伊田辺駅に戻り帰京の途に就いた。

     
     
     


   ホームページに戻る

inserted by FC2 system