熊野古道シリーズ
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 中辺路 ① 速玉大社~那智大社とかけぬけ道

             
② 那智大社~熊野本宮大社

                 ③ 滝尻~熊野本宮大社

                          ④ 赤城越え尾と大日超え



  
  大辺路 ① 紀伊田辺駅 闘鶏神社→櫟原神社→日神社→富田橋
           紀伊富田駅→草堂寺→富田坂→安居辻松峠→祝の滝分岐→安居の渡し場

          
② 紀伊日置駅-安居BT 安居の渡し→佛坂茶屋跡→地主神社→大師堂→周参見王子神
             周参見駅→馬転坂→和深川王子神社→長井坂   


                   
  江住駅→宮山→六坊浜→雨島の掘割→新田平見道

                  田子駅→富山平見道→飛渡谷道→海中公園センター→潮浜橋

                  串本駅→潮浜橋→くじ野川辻地蔵→橋杭岩

                    
 古座駅→紀伊田原→清水峠→紀伊浦神駅⇒紀伊勝浦駅    


 
 
 小辺路   1⃣  小辺路§1:高野山~大股と高野山町石道

            2⃣   小辺路§2. 3. 4 大股~熊野本宮 










中辺路§1・§2:速玉大社~那智大社とかけぬけ道

  

2019年11月4日~5日、<歩行距離約14km13km

 11月4日丹波橋駅⇒JR新宮駅→熊野速玉大社→浜王子→金光稲荷神社→佐野王子→

小狗子峠→大狗子峠→浜の宮王子→補陀洛山寺→JR那智駅⇒JR紀伊勝浦駅(泊)

 11月5日JR紀伊勝浦駅⇒JR那智駅→市野々王寺→多富気王子→熊野那智大社・青岸渡寺→妙法山阿弥陀寺→奥の院→熊野那智大社→那智山BSJR那智駅⇒JR新宮駅⇒丹波橋駅

  

11月4日6:30丹波橋を車で出て10:05新宮駅駐車場に車を入れて諸準備を済ませ10:25行動の開始です。
 先ずは中辺路の出発点である熊野速玉大社まで戻り10:45お参りを済ませ、いよいよ歩き始めます。
 カラフルな広げた唐傘がモニュメントになっている新宮城(丹鶴城)跡を左に見上げてJRをまたぎます。

11:20
阿須賀神社に詣で第一王子橋を渡って王子神社(浜王子跡)を目指しますが入り組んだ細かな道が行く手を阻み右往左往する。腰の曲がったおばあさんに助けられ
11:40
何とかたどり着けた。ランチを済ませ歩き始めると王子ヶ浜に出る。雲一つない光り輝く熊野灘を見ながら防波堤の道を南下する。
 広々とした砂浜に外国からのカップルがランデブーしているのを見るとほのぼのしてくる。
 12:50
高野坂を登り始める。林を抜けて熊野灘を見下ろすところに古い石畳や江戸時代の念仏碑が残されている。
 昔旅した人も木々の間から青い海原を眺めたのであろう。五輪塔に寄り道し、立ち寄った金光稲荷神社には子猫がいた。
 鯨山見跡にも足を延ばすと稲荷山とある。鎌倉期のものか不揃いの石畳に苔が絡む道を下る。

13:50
高野坂を降りて再び海岸べりに出る。三輪崎の宝藏寺の門前には「禁葷酒」とあるから小生には入り辛い。
14:30
藤原定家の「駒とめて袖うち拂ふかげもなしさののわたりの雪の夕暮れ」と刻む石碑がある黒潮公園を通り国道沿いに歩く。
 佐野の一里塚は道端の土の盛り上がりで石碑がなければ気づかずに通りすぎるところだ。
14:50
尼将軍供養塔や宝篋印塔などが立ち並ぶ佐野王子跡で休憩をとる。宇久井駅を過ぎ国道に沿って流れる長野川の小さな橋の欄干に小狗子峠から大狗子峠への看板が
 かかっている。線路を渡り標識に従って廃車が放置されている道路のどん詰まりに小狗子峠の登り口がある。短い道でも古道の趣を色濃く残している。
 降りれば線路越しに白菊の浜を見る。大狗子峠へは旧道のトンネル手前から石段を登り山道に入る。
 荒れるがままの古びた道で、峠からは階段を降りて国道を渡りそれとは思えない急な坂を下る。標識があまり明確でない。
 再び国道を歩くと16:30大楠が聳える浜の宮王子の大神社である。隣が生きたままお坊さんを船に閉じ込めて観音浄土に送る渡海で有名な補陀落山寺である。
 振分石を見て16:40那智駅で本日の行動を終える。宿は紀伊勝浦の民宿を予約している。列車まで待ち時間がありタクシーを利用した。17:15宿に入る。

 11月5日07:00民宿を出発、紀伊勝浦駅から那智駅に出て07:25行動を開始する。補陀落山寺の振分石を那智山に向かい、
 那智川沿いの県道が鋭角に西へ折れる「曼荼羅のみち」の石標がある。08:05石標と道標に従い井関集落をくねくねと辿り山道に入る。
 深い杉の森を進んでいくと08:25北条政子を祀る尼将軍供養塔がある。本日は現代の尼将軍が4人もおいでになるのでしっかり時間をかける。
 降りたところの参道碑入り口で記念写真を撮る。08:40市野々の王子神社を訪ねる。如何にも年月を経た庚申塔を右に見て那智川を渡ると田んぼの向こうに
 大門坂駐車場が見える。あぜ道を通ってトイレを借りに行く。
09:25大門坂に入り南方熊楠が三年間滞留した旅館跡を左に見て赤い橋を渡ると石畳の道に夫婦杉が現れる。ツアーの一団が幾つも登っており案内するガイドの声が
 響き渡っている。多富気王子跡を過ぎ、09:55目標とする熊野三山の二つ目那智大社に到着する。観光客に青い目の外人さんが多い。
 青岸渡寺で三重塔や那智の滝を見て私たちも観光する。10:25かけぬけ道へ向かう。古びた石段は古道の趣を深くしている。
10:40
三丁石で左に妙法山へ右に小口へと分ける分岐に出る。私たちは左のかけぬけ道をとる。山慣れした者にでもしっかりした登りである。
 堰堤からは山崩れのためう回路をとる。九丁石で本来の道になり苔むした石段の登りが途切れることなく続く。
11:40
十五丁石を少し登れば下り道になる、ちょっとほっこりする。丁石を数えて進む。

12:00二十二丁石の広場で突然視界が開け遮るものがないので熊野灘を眼下一望する。

 「地蔵様 見下ろす先は 太平洋」 

 お腹を満たして12:30妙法山阿弥陀寺を参拝する。紀州徳川家に縁るのであろう葵の紋が本堂にかかっている。
 中でも目を引いたのは子安地蔵を取り囲むように可憐な花を咲かせている竜胆である。このようにたくさん自生している竜胆を見たのは初めてである。

 「かけぬけて 古寺に広がる 花竜胆」   

二十三丁石から一層古色蒼然たる山道の石段を登り奥の院を目指す。13:00奥の院は妙法山山頂(三等三角点)にある。山頂を後にこれでもかとどんどん下る。
空気の澄んだ天気の良い早朝には富士山が望めるといわれる
13:30
富士見台に着く。天気は秋晴れで良いのだがわずかに霞んで富士山を見ることはできない。再び石段の道を下る。
13:50那智高原公園では勝浦町観光課の方と出会い大雲取越えルートなどを聞いた。またまた石段を下り、登りで分岐した三丁石に降り立つ。
 観光客でにぎわう青岸渡寺に出て三重塔を通って滝前バス停で14:40行動を終えた。バスを那智駅でJRに乗り継ぎ新宮駅でデポした車を拾い
16:05
帰京の途に就いた。





  
     
     
     
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中辺路§3・§4  :那智大社~熊野本宮大社

2019年12月22日・23日・24日、

     1日目、丹波橋駅西口⇒新宮・長谷旅館

     2日目、JR新宮⇒JR那智⇒那智山BS→熊野那智大社→(大雲取越)→小口(泊)

     3日目、小口→(小雲取越)→請川→熊野本宮大社⇒JR新宮⇒丹波橋駅  
 

12月23日晴れ、長谷旅館さんに車を置かせてもらいJRで那智駅まで行きバスに乗り換えて那智山に降り立ったのは09:00でした。出発準備をしている時に正木さんが躓いて膝と手の指に怪我をされたもののみんなで手当てをして09:30行動を開始する。土産物屋さんが並ぶ石段を登り先ずは那智大社と青岸渡寺のお参りを済ませ大雲取越えの古道に入る。かけぬけ道の分岐を左にやり過ごして10:05国土地理院・電子基準点のタワーが銀色に輝く那智高原公園に到着する。大雲取山山林道記念碑からの古道は杉林の中の古い石段をぐんぐん登り登立茶屋跡から舟見茶屋跡まで標高を稼ぎます。古道には500m毎に番号を付した石標が設置されており本日の終了点小口の間には29番まである。11:50ひたすら登って舟見峠で熊野灘を見下ろせば先月歩いたかけぬけ道の妙法山が見える。大雲取越えや小雲取越えは「死出の山路」と呼ばれていて「亡者の出会い」というところがあり、亡くなった肉親や知人の霊に出会える場所と伝えられています。現代の日本には出てきたがっている亡者がいます。東条もどきの亡者は歴史認識の中だけにして現代には決して出してはいけないという思いを新たにしました。道は緩やかになり12:40色川辻で林道に出会います。八丁の掘割で花折街道を分岐して舗装道路をのんびり歩けば14:00地蔵茶屋跡に着く。お地蔵さまが安置された祠や休憩所があり、休んでいると「熊野古道は夢」という台湾からのお客様に出会った。本来ならば石倉峠へ向かうのですが林道崩落のため14:40う回路を取ります。地道を40分ほど余分に歩き本来の道に出て木漏れ日が降り注ぐ石畳を再び登ります。長塚節の「虎杖のおどろが下をゆく水のたぎつ速瀬をむすびてのみつ」を見、さらに苔むした石を踏んで登る。土屋文明の「輿の中海が如しと嘆きたり石を踏む丁のことは傳えず」を見て登りつく越前峠からは胴切坂と言って石畳の急坂を下る。「風の中梢が音か瀬の音か下りの道は心たのしも」文明も小生らと同じように思って歩いていたのだと思うと心安らぐ。楠の久保旅籠跡や中根の旅籠跡を過ぎどんどん下って熊野三所権現が集まって談笑したといわれる円座石(わろうだいし)に16:40到着する。下りまだまだは続き舟見峠まで標高差約560m登ったのを標高差約790m降りる。徐々に日暮れが近づき薄暗くなってくる。先頭を行くSLがみんなにヘッドランプの用意は怠りないか確認してくれた。民家の庭先を走るワンちゃんの出迎えを受け小口に降り立った。17:20宿舎の小口自然の家では大きな木に灯されたイルミネーションが私たちを向けてくれた。ここは廃校になった小学校を再利用した宿泊施設で、予約を取るのが難しい人気の施設だそうです。お風呂を頂き食堂ではスペインやマレーシアからお客様とご一緒した。この山行中他にもオーストアラリアからのご夫婦とも出会ったが日本人は単独行の二人だけでした。

 12月24日冷気で濃い霞がかかっているが晴れの兆しです。07:00自然の家の方に見送られ出発、いよいよ本宮への一日が始まります。県道のトンネルを超える道が分かりづらかったが登り切りお地蔵さまに道中の無事をお願いする。小和瀬の渡し場跡の橋を渡り古道の石碑や小雲取越えの案内板に導かれ山道に入る。苔むした石畳の道を登れば尾切地蔵が迎えてくれます。道標は30番からです。朝の陽ざしに足もお口も元気です。霞みの雲海を越えれば展望が一気に開かれます。長塚節の「かがなべて待つらむ母に真熊野の羊歯の穗長を箸にきるかも」や杉浦勝の「小雲取のぼり来れば枯萱に光和みて山つたふ風」の歌碑を辿り登ると34番から束の間の下りとなり08:55桜茶屋跡です。「どちらへも 遠き山路や おそ桜」涼菟もこの登りに汗したのであろう。斎藤茂吉の歌碑が立つ桜峠からは上り下りを繰り返すようになる。石堂茶屋跡から石を積み上げた賽の河原地蔵を見て林道をまたぐと10:40百間ぐらに登りつく。熊野三千六百峰の山並みは北西の果無山脈に西南の大塔山系が連なり、山々が幾重にも畳み織りなすこの眺望は標  

430mといえど圧巻である。道は下りの連続となり、万才峠では伊勢路本宮道と合流する、通れるようになればこの道も歩きたい。11:15江戸中期には4・5軒あったとされる松畑茶屋跡をからさらにどんどん下る。12:40請川に下り終え、国道168号を本宮へ向かう。13:30大斎原のお社跡を見て巨大な鳥居をくぐる。「熊野へまゐるには紀路と伊勢路とどれ近しどれ遠し広大慈悲の道なれば紀路も伊勢路も遠からず」梁塵秘抄。13:45熊野本宮大社の階段を登り満願のお参りを果たす。バスで新宮まで戻り15:20帰路に着く。

 今年一年お伊勢さんから熊野本宮までお付き合い頂いた皆さん、ありがとうございました。熊野では満願は新たな門出ともされ次々に課題が出てきて終わらないのが熊野古道歩きです。新たな2020年も自分なりの目標を持ち古希を迎えようと思います。
     
     
 
   
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中辺路§5・§6:滝尻~熊野本宮大社

2020年12日・13日・14日、

1日目<歩行距離13km、コースタイム5h40m、行動時間7h

 丹波橋駅⇒滝尻王子駐車場→高原熊野神社→牛馬童子像→近露王子(泊)

2日目<歩行距離6.9km、コースタイム2h、行動時間3h45m

 近露王子⇒発心門王子→伏拝王子→熊野本宮大社⇒湯の峰温泉(泊)

3日目<歩行距離18.2km、コースタイム5h40m、行動時間7h

 湯の峰温泉⇒近露王子→継桜王子→小広峠→蛇形地蔵尊→三越峠→発心門王子⇒滝尻⇒京都

当初の計画は滝尻から本宮までを一泊二日で、三日目に稲葉根王子から滝尻王子を歩くものであった。

 12月12日06:30明日の天気を心配しながら運を天に任せて丹波橋を車で出発する。車を滝尻の熊野古道館駐車場に入れ、10:00中辺路の起点となる滝尻王子を歩き始める。最初からの急登でギュッと気が引き締まる。胎内くぐりの岩では時間を少々ロスした。奥州から熊野詣に来た藤原秀衡にゆかりのある乳岩や不寝王子を見て一気に高度を稼ぎ剣ノ山を経て11:18展望の開ける飯盛山に登りつく。白い雲の浮く青空にたおやかな果無の山並みを見てランチタイムとする。緩やかな上り下りを繰り返して針地蔵尊に出会い、さらにグッと登ると民家再生と書かれた集落に出る。晴れた空に広がる山並みそして緑の田畑と古民家、まさに原風景である。霧の里と呼ばれる高原(たかはら)には樹齢1000年以上とも推測される楠の大木が取り囲むように守る高原熊野神社が鎮座している。12:20境内で休憩しお水を頂いた。民家の角に立つ道標に従い大門王子に向かうと手入れされた杉林の山道を登る。壇ヶ峰・遊歩道の立て札を見て木漏れ日の落ちる緩やかな登りになると高原池がひっそりと佇んでいる。13:30朱塗りの小さな社殿に祀られる大門王子に着く。更に30分ほど歩きトイレと水場のある十丈王子で休憩をとる。出会う小判地蔵は飢えと疲労で小判をくわえたまま息絶えた巡礼がまつられたものである。悪四郎屋敷跡からの道に野面積みが施されていた。緩やかな上り下りも一里塚跡から一気に高度を稼ぐと15:00上多和茶屋跡である。三体月伝説の看板や道標をやり過ごし逢坂峠に出会う。「旅人の徒歩行き交いしげきとき父祖ここに住み茶屋をいとなめり」花仙の石碑が寂しい。道は坂尻の谷と言われる石くずの急坂となり足元に神経を使う。15:50笠塔婆の立つ大坂本王子に降り立つ。名前は「逢坂峠の麓」に由来するそうだ。更に下ると国道の道の駅を見下ろす。時間も遅くなり疲れも出てきた。16:30牛馬童子像の佇む箸折峠で写真に収まる。濡れて滑りやすい石畳の道を我慢して16:50近露王子跡に降り立つ。「峠路ゆ見下ろす村のわが里は家ごとにして梨の花咲く」花仙の歌碑。17:00民宿ちかつゆに旅装を解く。日置川を見て浸かる温泉に癒され、同宿の東京からのお嬢さん二人と共に夕食の席に着く。鮎飯は珍しく、海南の銘酒「黒牛」を頂けた。翌13日の天気予報では朝は雨で昼からは曇りから晴れに変わる。夕食を挟んでみんなで頭を突き合わせ明日の行動を考えるも結論は出ない。朝の天気予報を見て再度ミーティングして決めることにした。そしてストックが有効に使われていないことをが気になりメンバーに推進力として使う方法を伝授した。

 12月13日、未明からの眠りを妨げる大雨の音と窓に走る閃光で気持ちが萎えていく中、気を削ぐ雷鳴が轟く。朝食を挟んで相談し、本日の全行程はできない。雨が止むころからの行動を想定し、①近露から小広王子までの2時間、②発心門王子から本宮までの2時間、③その二つなどなどじっくり考えた。結局時間的なことから②を選択した。結果14日に予定していた行程は諦めることになる。本宮までのバスが9時7分にあり急いで出発しなければならない。カッパと傘でバス停まで大急ぎで歩く。本宮でバスを乗り換え10:25発心門王子バスターミナルを歩き始めた。雨は止んだ。ストックを推進力として使う方法を実地で講習した。発心門王子を訪ねてから道標に従い舗装道路を水呑王子へ向かう。露店販売のような棚に木彫りのフクロウや仏様などが並んでいる。おじいさんが道端で日向ぼっこしているのかと思えば木造の人形であった。八

咫烏に見送られ先を急ぐ。ストックのおかげか女性陣のピッチが速くなりセーブをかける。11:15水呑王子で休憩する。道は地道になり果無山脈を紹介する説明板のところでは展望が開ける。12:00果無の頂稜はまだガスに包まれている。「晴れやらぬ身の浮雲のたなびきて月の障りとなるぞかなしき」和泉式部の供養塔が木々の葉に隠れるようにして物悲しい。12:40伏拝王子跡を詣でる。昔京都を出てやっとのことでここにたどり着いた熊野参詣の人々がはるか彼方に熊野川の中州に鎮座する本宮を見て「伏して拝んだ」ところである。道は緩やかな地道の下りとなり13:00三軒茶屋跡に着く。小辺路との合流点でもある九鬼ヶ口関所跡の門をくぐり石段の道を登る。苔むした石段に木々の枝から新鮮な光が落ちてくる。生い茂る羊歯の葉も大喜びしている。下りになると石段は滑りやすくなり気を付けなければならない。13:40参詣者が本宮に入る前の身を清めるためと道中の安全を祈願して石を積み上げた祓殿石塚遺跡に出る。祓殿王子社跡を過ぎれば13:50熊野本宮大社裏鳥居をくぐる。「はるばるとさかしき峰をわけ過ぎて音無川を今日みつるかな」後鳥羽上皇の歌碑が迎えてくれた。社殿を参拝し本宮前のバスターミナルで14:10本日の行動を終える。15:05のバスで湯の峰温泉に移動し民宿あづまや荘に旅装を解く。早速金麦でのどを潤し、物凄くアンティークなお風呂で汗を流す。しばらく寛いで夕食後本館の風情のあるお風呂も頂きに行った。夕食を挟んで明日の作戦会議を持つ。結局、朝一番のバスで近露まで降りてそこから発心門王子まで歩くことにした。行動時間は7時間である。

 12月14日晴れ、朝食を終え06:13のバスで近露に降りなかへじ美術館から07:00行動を開始する。伝馬所を過ぎ近露の集落を緩やかに登っていく。旧国道を離れ薄暗い古道を登っていると堀井さんの掌にヒルがついていた。07:40月待供養塔の前で無理やり引きはがす。民家の前の道に生きてはいるが弱っているヤマガラが動かずにいた。昨日の大雨に洗われて畳々たる山並みが緑の光を照り返している。08:00比曽原王子を過ぎ、15分ほどで継桜王子社に着く。長い階段が鳥居をくぐって伸びているがハチの巣があるので登るのをやめた。08:20野中のとがの木茶屋で一服する。ここにも牛馬童子像があった。秀衡桜の石碑を見てきれいな桜並木の古道を東へ向かう。公衆トイレの前を掃除されているおじいさんがおられた。安倍晴明の腰掛石を過ぎると民家の前にピノキオをかたどった無人販売所があり、おちんちんから出てくる水で缶ジュースが冷やされていた。08:40左の坂の上にある中川王子は本当に寂しそう。09:15小広王子跡で休憩をとる。舗装道路を離れ石段の古道を登ると09:45熊瀬川王子跡に着く。一里塚跡には「和歌山より二十八里」とある。登りつく草鞋峠の山道は蛭降峠百八丁と呼ばれ旅人が難渋したところである。女坂の急な下りは速足となる。福ちゃんのズボンにヒルがついていた。車道に出たら岩神王子への本来の古道は通ることはできず岩上峠を越える迂回路を通らなければならない。標高差200mの急な峠越えは所要時間1時間30分のアルバイトで、12:15蛇形地蔵で古道と合流する。谷間の道湯川集落跡に降り湯川王子を見てつづら折りの急坂を登れば12:45三越峠に着く。関所の門をくぐれば長い下りが始まる。苔むした石段の道に神経を使うがキバナノホトトギスに癒される。13:15昭和48年に集団移転で廃村になった道の川集落跡を過ぎ、林道に出て番号道標56番を越えたあたりで再び迂回路になる。二年ほど前の台風で音無川沿いの道が崩落したために護岸工事が行われている。6月にはその工事個所手前から赤木越えの道に入ることができた。迂回路も昨日の大雨で崖崩れを起こし崩れた岩くずが林道を塞いでいた。上に注意しながら足早に通過する。14:06発心門王子に到着する。長かった歩きから解放され、健闘を称えあう。14:48発のバスで滝尻まで戻り帰路についた。大雨で予定を変更せざるを得なかったがみんなと相談し滝尻から本宮までを完歩することができた。課題を残すことは楽しみを残すこと。大大大満足でした。

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中辺路 赤城越え尾と大日超え    

2020年6月16日、<歩行距離約11.3km

       京都⇒熊野本宮大社バスターミナル⇒発心門王子バス停→猪鼻王子→船玉神社→なべわれ地蔵→柿原茶屋跡→
                                    湯の峰温泉→鼻欠地蔵→大日越登り口→大斎原→熊野本宮大社⇒京都
  
6月16日(晴れ)06:00車で自宅を出発、南紀田辺まで自動車道を使い09:35熊野本宮前に着きました。
10:10
発のバスで発心門王子バス停に着いたのは10:25でした。10:40発心門王子から中辺路の始まりです。
  事前に調べた通り古道の入り口には洪水による河川工事のために通行止めになっていた。しかし林道には注意して通るようにとの注意書きがあったのでこれに従った。
 猪鼻王子址への古道は健在で11:15船玉神社に着く。ここで重機が入る工事がなされていた。何とか川を渡り赤木越えの道に取り付くことができた。
 心配ごとが消えあとは歩きを楽しむのみ。山腹の急登に息が上がるころ道標1番に出会う(赤木越えには11番まである)。
 尾根道に入るとところどころ見晴らしが利くようになり、爽やかな風にも癒されて脚も軽くなる。

12:15
ランチタイム、見ている間に大小のアリさんがいっぱい出てきた。女房殿は立ったまま食べていた。
12:55
一遍上人にゆかりのあるなべわれ地蔵(それまでは鍋荒峠と呼ばれていた)を見る。ここより下り道となる。ハート形の羊歯の枯れ葉があった。
 弘法大師像を納めた小さな祠を過ぎると13:23柿原茶屋跡である。スポットライトを浴びるようにささゆりが光を集めていた。
14:26
湯の峰温泉に降り立つ。苔むした一遍上人の書跡碑を地元のご婦人が掃除されていた。足湯や公衆浴場があるが立ち寄らない。東光寺前のバス停で大休止とする。
14:40足湯の前を通り大日越えの古道に入る。雨が降った後に花を咲かせることからレインリリー(Rain lily)の愛称を持つサフランモドキがきれいなピンクの花を
 咲かせていた。園芸種が広がったものだろう。湯峯王子には寄らず先を急ぐ。鼻欠地蔵を越えると下り坂となり古い石畳も出てきた。
 疲れもたまってきたので注意をしなければならない。大日越登り口に降り立ち
15:45下山を完了する。
大斎原の大鳥居をくぐり
16:00本宮前の駐車場に戻る。
   
     
     
  
 
   
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大辺路§1・§2

2021年9月19日・20日、

1日目、<歩行距離18.6㎞、コースタイム6h、行動時間510m

 京都駅⇒新大阪⇒(くろしお1号)⇒紀伊田辺駅→闘鶏神社→櫟原神社→日神社→富田橋→

     紀伊富田駅⇒紀伊田辺駅(美吉屋旅館0739-22-3448

2日目、<歩行距離14.4㎞、コースタイム4h30m、行動時間515m

   紀伊田辺駅⇒紀伊富田駅→草堂寺→富田坂→安居辻松峠→祝の滝分岐→安居の渡し場⇒

    紀伊日置駅⇒白浜駅⇒京都

9月19日台風一過とはいかないまでもまずまずの晴れ、10:10闘鶏神社から歩き始め大辺路の始まりである。
コロナ禍の緊急事態宣言や台風14号でのびのびになっていたがやっと大辺路に取りつける、嬉しい。本日は紀伊富田駅まででほとんど舗装路を歩く。

津波看板・海抜2.2mの水路のような川で地元の方が葉っぱでカニを釣っていた。11:20大潟神社に立ち寄り小休止、宝永四年(1707年)の
巨大地震による津波の碑を見る。11:50ねこ茶屋の看板から竹やぶの道に入る。大辺路の木札があるので間違いない。途端にやぶ蚊の襲来を受ける。

国道に出て交番横のコンビニで腹ごしらえをする。新川を越えて旧道に降りていくとJR線を跨ぐ鉄橋を渡る。12:40熊野道「左 中へち、右 大辺ち」の
 石柱があり、右をとる。間違いに気づいた時にはR311まで来ていた。あの石柱は方角を示しているがルートを示しているものではなかった。
 仕方ないので国道沿いに山王橋(潜水橋)まで行き13:15対岸に渡り本来のルートに入って休憩をとる。結果、櫟原神社には行けない仕儀となり少し残念。

山王の集落から農道を辿り保呂の虫喰岩を越える。尚も農道を歩き内ノ川を過ぎてR42にでる。富田川沿いに国道を歩き14:40平間神社で手を合わす。
 魚濫観音を見て15:00日神社でも参拝を済ませ富田橋を渡る。15:20紀伊富田駅で本日の行動を終える。紀伊田辺まで列車で戻り宿舎の美吉屋旅館で旅装を解く。

9月20日この日も晴れ、JRを使い08:25富田橋まで戻る。橋を渡り旧道に降りて道標に従い飛鳥神社に至る。
 この神社には宝永大地震に因る大津波被害の惨状と大地震の時には必ず津波が来るものと心得て山に登れと宝永四年十月に記された警告版が奉納されている。
 09:00草堂寺に入る。お寺の横でおばあさんに出会い、山にはダニがいるから気を付けるように言われた。石塀に沿って薄暗い山道に入る。
 賑やかな声が聞こえる。地元の女子高生で写真部とのこと。少しお話をする。道が広くなり一里松跡には峠の茶屋まで3.6kmの道標がある。

 要害山・馬谷城跡の案内板をみて緩やかな道をせせらぎの音を聞きながら登る。10:00「七曲り」で小休止、3名のトレランが足早に追い越していった。
 ここから本来の山道になる。傾斜も増し、苔だらけの石を踏む。汗がいっぺんに噴出してくる。富田坂の標高は大文字山程だがつづら折りが続き登り切ったかと
 思えばまだ先がある。やはり大辺路最初の難所と言われるだけある。白浜方面の展望が開けるところでは一息付ける。

 ようやく道が緩やかになり雑木林を抜けてくる風が何とも言えず優しい。11:00峠の茶屋跡に着く。登りはまだまだあり11:30安居辻松峠を過ぎトイレの
 ある林道合流点から下りとなる。累積標高差は約880mである。コンクリート舗装された道に苔がついて気を使う。途中心もとない道標があり山道をくだる。
 枯れ葉が積もりあまり歩かれているとは思えない。それでも舗装路よりかはいい。再び林道に出て一気に標高を下げる。

 12:30
祝の滝分岐に降り立つ。祝の滝には往復30分を要するが案内には少々見づらいとあり帰りの時間もありパスする。
 姶良火山灰層の標柱や梵字塔を見て三ヶ川沿いの林道を行く。13:00庚申塔を見て緩やかな歩きやすい道にピッチが上がる。
 三ヶ川バス停を過ぎて三須和神社見れば帰りのタクシーが待つ安居の渡し場である。13:40行動を終えて安居のお店で買ったビールで乾杯する。
 紀伊日置からバスで白浜に出て京都に帰った。
   
     
   
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大辺路§3・§4

2021年10月9日・10日、

1日目、<歩行距離10.8㎞、コースタイム320m、行動時間430m

   京都駅⇒新大阪⇒(くろしお1号)⇒白浜⇒10:46紀伊日置駅11:2911:43安居BT

    安居の渡し→佛坂茶屋跡→地主神社→大師堂→周参見王子神社→周参見駅

2日目、<歩行距離14㎞、コースタイム4h30m、行動時間5h20m

   周参見駅→馬転坂→和深川王子神社→長井坂→見老津駅→江住駅(⇔潮音寺)⇒京都

10月9日特急くろしおや普通電車を乗り継いでJR紀伊日置駅で下車しコミュニティーバスに乗り換えて前回大辺路Ⅰの終了点である安居の渡し場に着いたのは11:25でした。因みに大辺路の読みは「おおへじ」ではなく「おおへち」ということを前回知りました。

 2005年50年ぶりに復活した渡し舟で日置川を渡る。熊野山地から流れ出てくる水は川底に船の影が映るほど澄んでいる。
 船頭さんにお礼を言って別れ11:47仏坂を登り始める。杉の枯れ枝が散在する道は先月の台風の爪痕なのだろう。
 高度差240mを一気に登ると桂松跡に着き、緩やかな道を辿れば12:30昭和初期まで営業していたらしい仏坂の茶屋の跡がある。牛市も行われていたらしい。
 世界遺産の指定を受けている本来の仏坂は一部未整備のため地主さんの意向で通行できなくなっている。すさみ町の教育委員会に問い合わせても県道を
 下村経由で地主(じのし)神社に向かうように要望された。山間を縫う太間川に沿って県道をのんびり歩く。13:40入谷橋手前に地主神社への道標がある、
 熊野地方には神は大樹や巨岩に宿るとして社殿を設けず祀ることが少なくなかったとのこと。入谷の集落を過ぎればJR紀勢本線と並行して歩くようになり、
 松の木地区を抜け14:30踏切を渡って堀切地区に入る。14:50山崎地区の周参見王子神社で参拝を済ませ休憩をとる。近くのスーパーに寄り道をして今夜と
 明日の食料その他の買い出しをする。周参見駅で所要を済ませ16:10今夜お世話になる民宿やまぐちさんで旅装を解く。早速サンセットすさみ(旧国民宿舎)へ
 お風呂を頂きに行く。民宿やまぐちさんは二部屋のみだから我々だけ、汗を流しすっきりしてキッチンで宴会となる。海の幸とお酒そして山談義、
 やっぱりこれでなければならない。

 10月10日晴れ、07:10お宿の奥さんに元気な内の一枚を写真に取ってもらって行動を始める。近畿大学水産研究所が目に入る。
 水平線にタンカーの影が小さい。07:35生コン工場内の隅に馬転び坂への階段がある。道標があっても判り辛い。
 20分ほど山道を登れば視界が一気に広がり枯木灘を見下ろす。岩礁に白波が立ち、和深崎が太平洋に突き出している。
 青一色の水平線に接する空は白くかすみ積雲が連なっている。その上は海の色を映したような青空青空。一週間前は能登半島の先っちょの山を日本海を見下ろして
 歩き、今日は太平洋をみて歩いている。コロナ禍の鬱憤を一気に晴らしているようで楽しい。薄暗い谷道を下る、展望所はパスして08:35国道と並行するフェンス
 の道に降りる。長井坂の案内板で国道を離れ西浜の林道に入り、09:00タオの峠への山道に取りつく。峠を確認しないうちに一里松塚跡を過ぎる。

 車道に降りJR紀勢本線と並行して和深川に沿って東へ向かう。09:18木陰にひっそりと佇む道祖神を見る。09:50和深川王子神社で休憩、
 10:05
丸山の掘割に立ち寄る。10:20長井坂西登り口では和深川に降りて橋を渡り登り始める。見老津の登り口まで標高差200m距離4.5kmの歩きとなる。
 この辺りにはイノシシ除けに石垣を積み上げた猪垣(ししがき)が残っている。伊勢路でも長い猪垣を見たが猪には大変な苦労をしていたのだろうと偲ばれる。
 稜線に登り切ると道は平たんになる。道の駅イノブータンランドへの道を右に見て道標に従っていく。戎島や江須崎などとともに望む大洋は果てしなく広がり、
 古くから文人墨客が絶賛した風景に納得する。11:00版築(段築)の道になる。これは起伏のある稜線に盛土をして道を平坦にするとともに豪雨による土砂の
 流出を防いだものと言われていて長井坂には二ヶ所ある。渡りくる海の風はやさしく木漏れ日の落ちる道はまさに癒し、歩きやすいし木々の間から見る枯木灘は
 やはり絶景、何をかいわんや。尾根道をぐっと下れば11:55県道に出会う。再び道標に従い山道に入れば急な下りと
なり一気に高度を下げる。

 12:25降り立った所が長井坂東登り口である。ここの説明板には口和深の旧家に古歌が三首伝えられていたとのこと。

  和深山世に古道をふみたがえ まよひつたよふ身をいかにせん (源 俊頼)

  和深山岩間に根ざすそなれ松 わりなくてのみ老やはてなむ (藤原清輔)

  身のうさを思ふ涙は和深山 なげきにかかる時雨なりけり (西行法師)

国道に出て見老津駅の前を通り旧道に入る。民家の細道から再び国道に出、「うぅみぃはひろいぃなぁおおきぃなぁ」日本童謡の園の道標から海辺の江須の町に
 入る。小さな雨粒がぽつりぽつり。雲行きがよくないのと疲れてきたこともあり潮音寺へのピストンは次回に回すことでみんなの了解を得る。
 国道にでて13:30江住駅前のコンビニで行動の終了を宣言した。
   
     
   
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大辺路 $5.6.7

2021年11月20日21日・22日、

 1日目、<歩行距離12㎞、コースタイム3h、行動時間4h>

 京都駅⇒周参見駅⇒江住駅→宮山→六坊浜→雨島の掘割→新田平見道→田子駅⇒江住駅

 2日目、<歩行距離17.2㎞、コースタイム5h30m、行動時間7h

  江住駅⇒田子駅→富山平見道→飛渡谷道→海中公園センター→潮浜橋→串本駅

 3日目、<歩行距離9.7㎞、コースタイム2h35m、行動時間3h20m

  串本駅→潮浜橋→くじ野川辻地蔵→橋杭岩→紀伊姫駅→古座駅⇒京都

11月20日、天気は22日のみ前線の通過で雨の予想でした。京都駅からJRを乗りついて江住駅に着いたのは11:08、コンビニで昼食を済ませて11:45歩き始めた。先ずは前回行きそびれた潮音寺に向かう。古いお墓が整然と立ち並ぶ臨済宗妙心寺派のお寺さんである。漁業が営みの街並みを通り、脇道から少し急な道を登れば線路をくぐる。国道に出て路傍に祀られているお地蔵さんに手を合わす。宇の平見や中平見の集落を通り抜けると12:57大平見で海岸沿いの道に出る。海は穏やかに凪、雲一つない青空に水平線が白い。里野の浜から六坊浜までは海岸を歩くのだったが国道で抜けてしまった。雨島の掘割を抜けると13:50木ノ本神社に着く。再び大海原を見下ろして国道に降りる。和深のお店で「おおな」(初めて聞く名前)のリッパな魚拓を見せていただいた。14:24JR和深駅に着く。トンネルの上を越えて東平見から新田平見にでる。平見とは海岸に突き出た小山のことと説明板にあり、この辺りの大辺路はかつて四十八ヶ所と言われた平見を越える小坂をつなぎ歩かなければならない。安指平見太子堂には小ぶりではあるがきれいな曼荼羅図がかけられていた。15:50無人の田子駅に到着し本日の行動を終える。コンビニどころか自動販売機もない無人の駅で一時間以上電車待ち。17:19薄暗くなった江住駅に戻りコンビニで食料などを仕込んで本日の宿「海のお宿」で旅装を解く。

 21日、06:50雲の間から差し込む朝の日がさざ波を伝って伸びてくる海岸べりを歩き駅に向かう。07:40田子駅から本日の行動を開始する。08:00中平見で水路になっているトンネルをくぐって富山平見道に入る。急な坂道に敷かれた古い石畳や階段にはサンゴが組み込まれた石も使われているらしい。登りが一段落すれば穏やかな道になり道標に従って行くと道が怪しくなってくる。一旦下って登り返すとJRの線路を越えるはずなのだが踏み跡とわかるものがない。そこで藪山登りの本領を発揮する。地形図で算段してゴリゴリと登り、慎重に降りるルートを探す。固くなった沼地のような田んぼを強引にわたり民家の裏から国道にでた。山道になれていない参詣者のためにはもう少しの整備が必要に思う。田子の浦からは海岸沿いの国道を歩く。09:10徳大明神社を参拝し江田の集落で浦氏屋敷跡を訪ねる。道を尋ねた農家のおばぁさんが案内してくれた。開発が進み真新しい小さな祠がその場所であった。国道に戻りのう凪を過ぎて田並の集落に入る。田並川を渡るのに河口側とその河上川とあるのだがどちらも古道に合流する。河口側が地図で明らかだったのでこれを取り、10:25飛渡谷道に取りついた。舗装路から山道を降りて雑木林を辿り枯れ葉の積もる道を登ると熊野古道大辺路の登り旗がなびいていた。舗装路をまたぎ更に山道を行く。10:45有田・田並境界石柱に着く。再び舗装路に出て道標に従い山道に入る。降りていくと廃道に近い状態になっておりサブリーダーがルートが取れないと言ってきたので先頭を代わる。周りのロケーションと地形から自然に帰ろうとしている凹部を辿る。藪を抜ければ11:06突如海原が広がる岩の海岸に飛び出る。ガイドマップには元に戻り舗装路を案内しているが海岸べりを辿る方を選択する。戎の祠を見て有田の集落を周り、徳本上人名号碑からいせみち石標を見るのだがルートに迷う。12:05隠れるように逢坂峠「いせみち」道標がある。ここの案内はもう少し丁寧にしてほしい。真新しい北向地蔵を見て林道を逢坂山隧道から出てくる国道に出る。串本海中公園を過ぎて東雨で海門庵に行こうとしたが時間が掛かりそうなので止める。二色で旧道を辿り国道に出て13:25旅の弘法大師像やトルコのお守りを見る。鬮野川(くじのがわ)を渡れば串本の町である。14:00応挙芦雪館のある無量寺を訪ねる。

14:20串本駅に着く。14:30宿の民宿くしもとで行動を終える。そと湯のサンゴの湯で汗を流した後、スーパーで食料などを仕込んで宿では至福の時間となる。明日の天気予報は早朝は曇りでいつ降り出すかわからない。明朝6時行動開始と橋杭岩には行かないことを確認して寝る。

 22日、夜明けは曇りだが天気予報では9時頃から降り始め徐々に本格的な雨降りになるとのこと。本日の行動は3時間ほどだから何とか行けると思う。用意ができたら出発と伝えた。05:45まだまだ暗い内に宿をあとに昨日歩いた道を戻る。眠りから覚めない静かな町中を抜け海岸道路に出る。舟や港の明かりがぽつりぽつり。徐々に明るくなってくる。06:45潮浜橋で鬮野川を渡り線路をくぐる所で小休止。田んぼを見ながらほぼ川に沿って農道のような道を歩く。いくつか橋を渡り07:10鬮野川辻地蔵まで来た。ここから橋杭岩への道が分岐している。しりでの坂を降りれば澤信坊の道標地蔵が坐す国道にでる。07:35JR紀伊姫駅に着く。トイレもない無人駅である。重畳山姫登山口を過ぎたころ頃からぽつりぽつりと雨粒を感じるようになる。「もう少しお待ちください」天の神様に祈る。シーハウスの裏から旧道に入るとしっかり降り出してきたので雨対策をして先を急ぐ。08:35JR古座駅に到着。09:14発の特急くろしおに乗り帰京の途に就いた。最後は雨に降られたもののおおむね天気には恵まれ、またメンバーの皆さんもしっかり歩いていただき予定していたコースを歩けたことに大変満足しています。来月の大辺路Ⅳで満了となる期待を大きくしました。
   
     
   
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大辺路§8・§9

2021年12月18日・19日、

1日目、<歩行距離11.6㎞、コースタイム410m、行動時間410m

 京都駅⇒(くろしお1号)⇒古座駅→紀伊田原→清水峠→紀伊浦神駅⇒紀伊勝浦駅    

2日目、<歩行距離15.5㎞、コースタイム4h40m、行動時間6h35m

 紀伊勝浦駅⇒紀伊浦神駅→浦神峠→駿田峠→補陀洛山寺→那智駅⇒紀伊勝浦駅⇒京都

12月18日、冷え込む京都を出発した。大阪から和歌山に抜けるころまでは厚い雲が低く垂れこめていたものの南紀の古座駅に着くころには晴れになっていた。
 この日の予定は古座駅からおおよそ海岸沿いに歩き紀伊田原を経て世界遺産に指定されている清水峠を登って紀伊浦神駅までの行程である。
 諸準備を済ませ11:26行動を開始する。古座川を渡ったところで大辺路は八郎峠コースと清水峠コースに分かれる。
 
 私たちは川に沿って南下し古座神社で足を止める。動鳴気漁港の北側を通り国道に出ると岩礁から潮が引いたような岩の海岸が張り出している。
 どこまでも広くて青い海と岩礁が絶妙のコントラストを見せてくれている。オレンジと黄色に色分けされた国道が回り込むところで12:30石切岩を見る。
 大沛の奇岩が点々と海に落ちている。13:30三体仲良く並んで鎮座する地蔵尊を過ぎ紀伊田原の集落に入る。
 ここまで道標らしいものがなかったのだがここにきて道案内が出てきた。まだ営業されているのだろうか「旅人宿 いその」がある。

 国道脇の道標に従い14:45清水峠西入口に着く。口熊野と奥熊野を境する峠には15分ほどで登ることができる。

 「右上田原 左大へち 施主 七兵衛おゆき貞助」の石道標が置かれているが向きが逆さまなので東口あたりから移動させられたのであろうと思われる。
 浦神港を見下ろすと東口にでる。あと五分で新宮行きの電車が来るというのでみんなで走る。15:35JR紀伊浦神駅で本日の行動を終える。
 電車で紀伊勝浦に移動し以前お世話になった民宿小阪屋さんに入る。

 12月19日晴れ、この日の予定は浦神峠から市屋峠や二河峠を経てゆりの山温泉から駿田峠に登り補陀落山寺のある那智駅までの行動である。
 紀伊浦神駅に戻り07:40行動を開始する。鹽竃神社には南紀の捕鯨文化が海の日本遺産として受け継がれてきた謂れが残されている。
 線路を跨げば臨済宗妙心寺派海蔵禅寺を見る。薪をたく煙が匂う。ここは備長炭の産地で炭焼き小屋が2つあった。
 大きな炭焼きの所では人影は見当たらないが盛んに犬が吠えている。休平への道標に従いシダと植林の山道を登る。
 08:30
休平とも呼ばれている浦神峠に着く。枯れ落ち葉に敷き詰めらた広い峠である。

「木々の間に 冬陽のみすじ やすみおり」

 下っていけば千両の群生地に出会う。斜面一帯が千両に埋め尽くされている。09:00道標に千両とお地蔵さまが寄り添っている。椎の巨木が守る大泰寺を通り
 10:00太田神社を見る。市屋峠の登り口で休憩をとる。ここで一大事が起こる。「12月19日午前8時30分から午後4時30分まで有害鳥獣駆除(銃狩猟)の
 為熊野古道の通行はできません」と那智勝浦町の立て看板が設置されていた。スマホの情報で市屋峠と二河峠が通れないことが判明した。
 みんなで頭を突き合わせ国道に出て太地駅から湯川駅を経て駿田峠を目指すことにした。予期せぬことで大変な遠回りとなる。

 11:00
古くから捕鯨で知られる太地町の道の駅でランチタイムとする。三軒家にあるトンネルからサイクリング専用路に入る。
 車は通らないし熊野灘を遠望しながらの歩きは思いのほか快適である。急坂をスロープと階段で登るところもある。
 思い返せばJRきのくに線には自転車の乗れる列車がある。としたらこのサイクリングロードは間違いなく湯川駅に行くと確信した。

 12:10
湯川駅を通過する。二河川の橋を渡り駿田峠への道を辿る。12:30熊野詣での宮人や旅人を癒したゆりの山温泉を右に見て先を急ぐ。
 山道を登ると幟旗が見えてくる。登れば加寿姫地蔵尊がおわす峠に着く。しっかりした階段の道がありこれを辿ると反対の斜面に山道が見える。
 間違ったのが判り戻る。反対斜面の元に道標が隠れており掘割に向かって駿田峠を指示していた。

「坂の上に 枯れ葉に埋もるる 姫地蔵」

13:25駿田峠を通過する。紀伊天満の街を抜け汐入橋を渡り14:07補陀洛山寺に入る。14:15那智駅に着き行動を終える。
   
     
   
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小辺路§1    高野山~高野山町石道 ホームページに戻る

2021年4月11日・12日

  1日目<歩行距離17km、コースタイム5h25m、行動時間8h10m

    丹波橋駅⇒南海・極楽橋駅⇒(ケーブル・バス)⇒千手院橋→ろくろ峠→薄峠→丁石→

      水ヶ峰分岐→林道分岐→東屋→大股バス停

  2日目<歩行距離21km、コースタイム6h45m、行動時間7h30m

    大股バス停(村営バス)⇒千手院橋→高野山大門→鏡石→矢立峠→笠木峠→古峠→六本杉峠  

      →慈尊院→九度山駅⇒(南海・京阪)⇒京都

昨年11月に雨で行きそびれた小辺路§1を高野山町石道と合わせて取り組みました。

 11日、少し風が冷たかったものの天気は上々、高野山千手院橋東バス停を10時過ぎ歩き始める。
 金剛三昧院入り口への道にある小さな矢印にしたがって小辺路の道に入る。ろくろ峠には高野山が明治5年まで女人禁制であったことを物語る女人堂跡がある。
 円通寺への女人道を左に見る。緩やかな尾根道には桜の古木が点在しパノラマビューも楽しめた。11:20薄峠からは下り道となり丁石で一気に高度を下げる。
 丁石には本宮より十七里とある。標高差330mを下れば御殿川にかかる赤い鉄橋を渡る。12:05小休止、まだまだ桜が楽しめる。急坂を登り車道と合流して更に登る。

 12:30大滝集落には休憩所があり民家の横から杉林の山道に入る。あっ、リスだ、木を登っている。いやリスより大きいから猿だ。と言っていると
 その声に反応してか「私はムササビだぁ」とばかりに翼を広げて目の前を横切って飛んだ。自然に生きるムササビが飛ぶのを初めて見た。高野槇の林を過ぎ、
 13:10
高野龍神スカイラインに合流する。しばらくはバイクと車に気を付けて歩かねばならない。右に護摩壇山、左に稲村ヶ岳の山並みを見て行く。
 赤い涎掛けの道標地蔵がスカイラインの道辺に佇んでいる。「右くまのみち、左ざい志やうみち」とある。水ヶ峰分岐から再び山道となり
 14:06
お墓のある水ヶ峰集落跡を見る。林道タイノ原線に合流する。おおよそ緩やかな下りで東屋があり休憩を取る。山道を下りまた林道に合流する。
 15:20
道標地蔵の佇む平辻は前回散策に歩き始めたところだ。雑木の枝に若葉がまだ芽吹いていない林は紅葉の時とはまた違う趣がある。
 民宿かわらび荘への道から離れ山道を急激に下れば大股の集落に降り立ち、16:15本日の行動を終える。

 12日、野迫川町のコミュニティーバスが07:25民宿かわらび荘前に停車してくれるよう手配していただいた。
 運転手さんの心遣い大門まで送ってもらい08:30大門で下車する。標高は848m諸準備を済ませ08:50行動開始、直ぐに十町の町石を見る。
 慈尊院まで一つ一つ町石を確かめながら百八十町まで下ることになる。早速香代子さんがヒトリシズカを見つけた。
 「名前はヒトリシズカでも群生するのが好きなんですよ」と教えてくれた。
 私たちも一人一人それぞれの生活と生き方をもって山を楽しんでいますが仲間を必要とし仲間が大好きです。
 09:35
苔がまばらに張り付いた鏡石を見る、標石は「かゞみいし」のかが欠けていた。あずま屋があり天気も良く龍門岳の展望が開けている。
 あまりゆっくりもしていられない。順調に高度をさげ押上岩や袈裟掛け岩を通過する。標高481mの矢立峠で国道を渡り登りの山道に入る。
 10:50
葉の上に花を咲かせるハナイカダに出会った。近年見ることがなかったので思わず写真に収めた。
 12:00
笠木峠を過ぎ、緩やかなアップダウンが連続が続くがなかなか高度を下げない。神田地蔵堂にはきれいなトイレが設置されおり休憩する。
 白蛇の岩と鳥居を過ぎ、13:25二ツ鳥居に着く。山間に佇む町を見る、まるで無声映画よう。
 丹生都比売神社へ向かう道を左に過ごし、小都知ヶ峰の道にも行かず、六本杉峠に向かう。13:55峠で休憩、疲れてきてはいるがこれから高度を下げていく。
 14:30
弘法大師座像の接待場を過ぎ、雨引山への分岐に出てそのままどんどん下る。鎌倉時代に町石道を整備する際、
 人足への給金をつかみ取りさせたという銭壺石から柿の木畑に降りれば紀ノ川沿いにかつらぎ町の街並みを見下ろすようになる。
 農道脇に無人販売所があり自動的に休憩となる。試食用のミカンを頂き、一袋100円のミカンを求める。15:40慈尊院に降り立つ。
 百八十町の町石を探すのに境内を歩き回り、丹生官省符神社の石段の途中に
見つけた。南海電鉄九度山駅までには更に1.7km歩かねばならない。
 真田庵の前を通り歩道橋を渡って16:15九度山駅に到着し行動を終える。
   
     
   

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  小辺路§2・§3・§4 大股~熊野本宮

2020年11月7日~10日

1日目<歩行距離3km、コースタイム45m、行動時間1h

 丹波橋駅⇒高野山駅⇒(タクシー・観光)⇒民宿「かわらび荘」⇒平峠→「かわらび荘」      


2日目<歩行距離17km、コースタイム5h25m、行動時間9h
 

  大股バス停→桧峠→伯母子岳→弘法大師座像→三浦口バス停


3日目<歩行距離20km、コースタイム7h、行動時間9h15m

 三浦口バス停→三浦峠→西中バス停→大津越バス停→柳本橋⇒十津川温泉


4日目<歩行距離15.2km、コースタイム5h35m、行動時間7h55m

 柳本橋→果無集落→果無峠→七色分岐→八木尾→平岩口→熊野本宮⇒京都

11月7日から10日にかけて高野山から熊野本宮まで歩く予定でしたが前線を伴う低気圧が紀伊半島沖に接近してきて完全に雨で午後から回復の模様。8日から10日は晴れでした。

 11月7日高野山へ向かう電車から見る雲は低く時折太陽の位置がわかる程度です。あわよくばと思っていたが期待とは裏切られるためにするもの。
 みんなと頭をひねった結果、初日はタクシーで大股近くの民宿に入ることとした。タクシーの運転手さんが親切な方で時間があるのならと壇上伽藍の案内をしてくれたり、高野山の観光を盛り上げる取り組みなどを紹介いただいた。
 11:10
民宿「かわらび荘」に入る。紅葉の真っ只中で渓谷を挟んで山が錦繡を織りなしていた。
 11:55
民宿のご主人の計らいで平峠まで車で送ってもらって1時間ほど小辺路の一画を散策した。
 14:30
野迫川温泉にも送迎していただき、ゆったりした時間を過ごした。桜の時期も素晴らしいとのことなので歩けなかった高野山から大股までと町石道を合わせて
 来年の4月に企画することになった。


 11月8日曇り空、本日のメイン課題は標高1,215mの伯母子峠越えです。07:00標高645m大股からの歩き始めは急な坂道を民家やお墓を通り抜ける。
 地道になってもの急登が続いて気温は低いのに身体は暑くなってくる。08:05昔数件の茶屋があった萱小屋跡には立派なログハウスが立っていて避難小屋として使える。
 更に登れば枯れ葉の敷き詰められた雑木林の道になり緩やかな上りになる。植林と雑木林が混在しているが黄いろく色づく落葉樹林は心を和やかにしてくれる。
 ほぼ2時間ほど歩いた09:05冷たい風の吹く標高1,206mの桧峠に登りつく。伯母子岳分岐では護摩壇山への道もある。
 古道から離れ伯母子岳山頂に向かう意見もあったが小生のこだわりで古道を伯母子峠まで歩いて山頂をピストンすることとした。朴木の大きな落ち葉が白い。
 峠には避難小屋がありザックをデポして山頂を目指した。単独行の女性と出会う。冬枯れの尾根道を枯れ葉を踏みながら登れば
 10:35
標高1,344mの伯母子岳山頂である。ススキ交じりの草原は枯れ、常緑の灌木が点在し、葉を落とした木々の幹が白い。
 大峰や熊野の山々が畳々と果てしなく折り重なって見える。峠の小屋に戻りかわらび荘で作ってもらったおにぎりをいただく。
 小屋を出るとき二人連れの男性が登ってきた。三田谷橋への道標にしたがって下る。ここからの紅葉が見事であった。
 観光地にあるような襲い掛かってくるようなものではない。黄葉の木々にところどころ紅葉が光を集めている。しっとり落ち着いた風情が足を止める。
 
 12:25
上西家跡は旅籠の名残で馬で米や魚を運んだ物流の中継地であり高野詣でや熊野詣での巡礼が一夜を過ごしたところとのこと。
 春から夏には御詠歌が夜の更けるまで響いていたと記されている。黄葉の素晴らしい広々とした屋敷跡からは往年の繁栄ぶりを見ることができる。
 ここから道は二つあるのだが世界遺産に指定されている方を歩く。昇り降りを繰り返し尾根を回り込むごとに、「わぁー、きれぇー」の声が響く。
 狭い道に崖をトラバースすることもあり注意を促す。かわいい弘法大師像のある水ヶ元茶屋跡に到着する。
 その昔それはそれは恐ろしい姿の山姥が住んでいたと案内板にある。右肩斜面の道をしばらく高度を下げていくと尾根に乗る。
 14:40
標高800m付近の待平(松平)屋敷跡である。道標地蔵を見て一気に高度を下げ、道がつづら折れになれば15:20標高341mの三田谷橋に降り立つ。
 今夜泊まるお宿に電話を入れて三浦口までお
迎えをお願いする。
 五百瀬で明治二十二年の大水害で埋没し川底に眠る腰抜田(こしぬけた)を記す南朝史跡の石柱を見て15:50三浦口に到着、お迎えの車で16:00農家民宿「山本」に入る。

 
 11月9日晴れ、宿のご主人に三浦口まで送っていただて準備をする。昨日伯母子岳でであった女性が歩いてきたテント泊まりとのこと。
 当然先を譲り07:00行動再開。本日のメイン課題は標高1,067m三浦峠越え。つり橋を渡り登っていくと石畳の残る道となる。
 07:45
登る眼前に奇っ怪な姿をした杉の大木が現れた。出会う杉の巨木は樹齢500年とも推測されており、旅籠吉村家跡の防風林になっている。
 ぐっと高度を下げ、二十五丁石を過ぎて08:35三十丁石で休憩をとる。植林帯を抜けると山々が錦に色づく展望が一気に広がる。
 目の前にはオレンジいろから黄色のグラディエイションが「きれぇー」なモミジ。ぐんぐん登る。09:35三浦峠には屋根小屋があり林道が抜けている。
 小屋に先の女性が休んでいた。話をすると埼玉の方で栃木労山に入っているとのこと。本宮から中辺路を那智へ行くそうだ。
 それではと昨年歩いた「かけぬけ道」を紹介した。記念写真にかの女性とともに収まる。山側は植林で谷側は紅葉する雑木林の細い道を下る。
 10:10
古矢倉跡の地蔵菩薩座像は全身苔を纏っていた。下り道はさらに続き出店跡に着く。出店とは小字名で、明治の末まで茶店や旅籠があり、
 昭和20年末までいで道(水路)を作り水田を営んでいたとのこと。植林を下り11:05五輪の塔を見てさらに下る。
 12:10
矢倉観音堂には三体の菩薩像が安置されている。どんどん高度を下げるが舗装路に出て迂回路で惑わされた。
 みんなでしっかり確認して標高226mの西中の車道に降り立つ。ここから十津川温泉までコースタイム2時間の舗装路歩きが始まる。
 13:45
菅原道真に所縁のある川合神社で一服。大津越えでは大師堂に立ち寄らず先を急ぐ。温泉やホテルのある昴の里で道を探してもたついたが3時間強の
 舗装路歩きで16:15無事に十津川温泉の民宿「松乃屋」に旅装を解いた。女将は絵にかいたような肝っ玉母ちゃんでした。

 
 11月10日晴れ、本日のメイン課題は標高130mから標高1,074mの果無峠を越えです。06:45宿を後にし赤い柳本橋を渡って07:10登山口に入る。
 芭蕉門下十哲の一人である向井去来の「つづくりも はてなし坂や 五月雨」の句碑がある(つづくりとは参詣人から徴収した通行料のこと)。
 登り始めて開けたところで振り返れば朝の光が山から注ぎ始めて静かな十津川の流れが見える。石畳を踏んで果無集落の民家を通る。
 観光ポスターにもなっている丸太の手水鉢に花が飾られていた。西国三十三観音の三十番近江國竹嶋の石像がある。
 これから次々に見て行く石像群は一番の八木尾を起点に十七番六波羅蜜寺の果無峠を経て三十三番の櫟砂古(いちざこ)まで大正11年から12年にかけて
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体が寄進されたものである。集落を過ぎると「右 くまのミち」とある古い石標に従う。雑木林や植林が入り混じる緩やかな登りは暑くもなく寒くもなく快適である。
 8:30
天水田は雨水だけを頼りに作られた水田跡である。石畳を踏んで山口茶屋跡を過ぎれば苔が絡んで傾いた地蔵菩薩立像に出会う。
 道標地蔵に「左 ほんぐ 〇 やま」が読める。開けた所では左右から尾根が落ち込む山々が重々と見える。
 9:20
二十番善峰・千手観世音菩薩の石像が見守る観音堂には水が引かれトイレもある。登り始めより3時間長い登りをこなしようやく
 10:05
果無峠に到着する。何はともあれ旗を出して写真に納まる。これより西に連なる果無山脈にはいつか挑戦してみたいと思う。
 道は八木尾までひたすら下ることになる。少し平たくなった花折茶屋跡から丸っこい石がポツンと置かれている二十町石をみて本宮町を見下ろす
 11:20
三十町石でランチタイムとする。かの女性が軽やかな足取りでにこやかに通り越していった。石像の番号を数えながらひたすら下る。
 疲れも出てきているし急なところもあり時間も午後、注意を喚起して急がず慌てず13:05八木尾のバス停に降り立つ。
 本宮までのコースタイムは1時間30分だが今までの歩きからして2時間以上かかると思われる。本宮からのバスは15時05分にあり、その次は16時40分になる。
 これからはほぼ車道、今まで小生は「ゆっくり、急がないで、時間はある」など急かすことは言わなかったが15時過ぎのバスに乗るためみんなに速足をお願いした。
 最後の踏ん張りで50分で三軒茶屋跡に到着。中辺路で通った「右こうや 左きみい寺」の石標がある九鬼ヶ口の門で休憩してから石畳の参道を下り本宮を参拝する。
 14:50
バスターミナルで行動を終える。




               


   
     
   
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