伊勢路シリーズ  



 ❶ ツヅラト峠越え
 
 ➋  伊勢神宮内宮

 ❸ 女鬼峠-柳原観音

 ❹ 三瀬坂峠-瀧原宮

  里塚石仏碑  三浦峠-神峠-八重垣神社 

 ❻  馬越峠-八鬼山  三木峠・二木島峠・逢神坂峠
 ❼  大吹峠 松本峠 熊野速玉大社

 

ツヅラト峠越え
 

2019年9月16日、<歩行距離約10km

丹波橋⇒JR紀伊長島駅⇒JR梅ヶ谷駅→下里→ツヅラト峠→志子奥→JR紀伊長島駅⇒古里温泉⇒京都 
 

熊野古道には伊勢の国と紀伊の国を分ける峠越えに二つの道がある。旧道は平安時代より歩かれ昭和初期まで生活道として使われてきたツヅラト峠越えである。ツヅラトの語源は「九十九折れ」と言われており、峠からの紀伊側への下りは急で正に九十九折れ道である。一方荷坂峠越えは江戸初期に紀伊徳川家が整備した道である。旧道と比べ傾斜は緩く一時間ほど短い。

熊野古道・伊勢路を一月から歩き始めた私たちも全行程を歩くのに早くて楽な荷坂峠越えを選択した。しかし旧道には地元ボランティアによって探索修復された自然石を石垣として積み上げた「野面乱層積み」や石畳みの道が残されており逃し難く思っていた。

そこで猛暑が緩むと思われる9月16日にツヅラト峠越えを行った。天気は晴れ06:30丹波橋を出発し08:35紀伊長島駅に車を置いた。梅ヶ谷駅までの列車を一時間以上待つことになった。出発時間を30分遅らせても良かった。梅ヶ谷駅を10:05に歩きはじめ、蛇行する大内山川の橋を二度渡り定坂公園で一服してツヅラト峠登り口に向かう。11:10登り口からの歩きは緩やかな下り坂でヤマジノホトトギスの他にキバナノホトトギスが咲いていた。植林地ではあるが樹間を渡る風もせせらぎの音も爽やかである。世界遺産に登録された伊勢路には100mごとに道標が設置されておりこの峠越えには18個の道標がある。11:30ツヅラト峠に登りつく。紀伊長島の海と街を見下ろす東屋がありランチタイムとする。少し登った展望所からの眺めは開放的で風もあって気持ちいい。昔伊勢からの旅人はここから見下ろす熊野灘を補陀落浄土の海と崇めたとのことである。12:30下山を開始する。細い急坂を足元に気遣いながら九十九折を一気に下ると野面乱層積みの石垣に出合う。発掘された石道が徐々に姿を現してくる。自然石を歩きやすく面を揃えて積み階段状にしてある。石を運び積み上げたいにしえ人のご苦労に、そして発掘に汗したボランティアの皆さんに頭が下がる。12:50石道登り口に降り立つ。13:05「めだかの学校」があり、池にはちっちゃなメダカが泳いでいた。オレンジ色や青いのもいた。花広場で休憩し、暑い々々アスファルト道を歩いて14:00紀伊長島駅で行動を終えた。何度もお世話になっている古里温泉で汗を流し帰路についた。
     
     
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伊勢神宮内宮


§1   2019年1月22日、<歩行距離約13km  

近鉄京都駅⇒大和八木駅⇒五十鈴川駅→伊勢神宮内宮→外宮→柳の渡し→JR田丸駅⇒

JR松阪駅・近鉄松阪駅⇒大和八木駅⇒京都駅

2019年新たな年を迎え伊勢神宮から熊野古道:伊勢路170kmを歩き通し熊野速玉大社を目指す例会をスタートします。初回になる1月はお伊勢さんに初詣をしてから田丸までの約13kmを歩きます。

1月22日早朝のまだ暗い内、06:41発の近鉄橿原神宮前行急行で京都駅を発ちました。09:40五十鈴川駅に降り立ち歩き始めれば先ずはお伊勢さんの参拝をしなければ始まりません。宇治橋を渡りバスガイドが上げる小旗の後に着いて行き五十鈴川の河原でお浄めをして内宮の本殿へ、参拝を済ませいよいよ熊野古道の開始です。お伊勢さんと言えば小学校の修学旅行での生姜板と赤福餅を思い出します。お土産物屋さんで割れの生姜板を求め、赤福餅本店で香ばしいほうじ茶と赤福餅をいただいておかげ横丁へ。出だしがこのような観光になりました。今日の歩きは時間的余裕があり急くことはありません。猿田彦神社から古市参宮街道に入り資料館や旅館「麻吉」に立ち寄りゆっくりするまでもありませんがあわてもしません。昼時に近づいてきて外宮でランチタイムと思ったのですが場所がない。12:35外宮に入り参拝、再び歩き出すも公園もない。筋向橋から商店街を通り宮川の堤にある柳の渡しの東屋で遅いランチタイムとなりました。雲いきも悪く冷たい川風の吹きさらしで早々に切り上げました。度会橋を渡れば後はひたすら歩くのみ。15:00大和からの初瀬街道と熊野街道が合わさり伊勢神宮へと向かう田丸に着く。ミエマンという醤油の西村商店がありまたまた観光客となる。15:40古びたJR田丸駅にて本日の行動を終了する。19:40JRと近鉄を乗り継いで伏見に帰りつきました。

 小生としては近鉄やJRの繋がりもわかり熊野古道の滑り出しとしては上々の出来でした。  
     
     
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女鬼峠-柳原観音
  

§2    2019年2月12日、<歩行距離約20km

近鉄・京都駅⇒大和八木⇒松阪⇒JR田丸→女鬼峠→柳原観音→神瀬→JR川添⇒JR多気⇒JR松阪・近鉄松阪⇒伊勢中川⇒大和八木⇒京都駅
2月12日晴れ、§1の終着点JR田丸駅が§2の出発点です。06:41発の近鉄で京都を出て田丸を歩き始めたのは10:00でした。
 道標に従いバンタ屋敷跡を見て外城田川を渡り別称「東熊野街道」と呼ばれる県道13号線を西に向かう。振り返れば田丸城跡の城郭が見える。
 接待地蔵に見送られて行けば東外城田神社に着く。石造りの白い鳥居が稲荷神社のような参道となって奥社へ導いている。
 柿畑が左右に広がり見晴らしは良いのだが冷たい風をまともに受けて前のめりに歩く。11:30新宮まで145kmと記す道標で県道を離れる。
 沢山のお地蔵様が旅の安全を祈ってくれている石仏庵前から巡礼道引観世音の碑や国束寺観音道の碑に導かれて旧街道の趣を楽しむ。
 出会ったおばあさんが声をかけてきてくれて「気を付けてぇ」と手を振って見送ってくれた。西外城田神社の参道を左に見て先を急ぐ。
 県道に出て暫らくすると成川集落の旧道に入る。女鬼峠への道標を見て栃ヶ池の端から県道を跨ぎ伊勢自動車道をくぐれば女鬼峠の入口となる。
 始め舗装してあるものの道はかなり狭くやがて地道に変わる。いよいよ古道歩きらしくなってきた。荷車の轍が残る敷石の道を緩やかに登る。
 茶屋跡には展望台へのルートが案内されていて左回りに登ると日本一の清流と言われる宮川を見下ろす展望台からは紀伊山地の山々が望める。

 12:30
ランチタイム。峠は岩を穿った「切り通し」になっている。峠には「めきこちゃん」という小さな角を生やした可愛い少女が住んでいるらしい。
 相鹿瀬側に降り立ち石標やお地蔵さんを見てバイパスに合すれば深谷橋の手前で右の山道に入る。
 13:50
柳原の西国霊場順礼手引観音千福寺に立ち寄れば次は心に秘めていた元坂酒蔵である。各自4合瓶の分だけザックが重くなった。
 再びバイパスに合し宮川沿いに進むと柳橋の前で旧道コースを右に分けるが今回は橋を渡って元禄期に作られた新田コースを辿る。
 国道42号を跨ぐ新田の交差点に馬鹿曲りの文字が道標に見られる。踏切を越えて紀勢本線沿にしばらく歩くと右に降りる馬鹿曲り入口への案内がある。
 覗けば小さな水の流れがあり大きな土管が二つ転がっている。これが道かと降りて振り向けば排水施設の真っ暗なトンネルがある。
 15:15
踏み石はあるが水が流れており足元は見えないもののヘッドランプを出す間もなくこれを抜ける。朽ちかけた木製の橋がある。
 「ばかまがりばし」で今にも壊れてしまいそう。通行禁止となっており沢に降りて渡渉し登り返すことになる。
 神瀬に入り眼鏡橋を渡らないで猿木坂を下り竹藪の道を辿ると眼鏡橋を下から見上げる。眼鏡橋は明治40年にイギリス人技師の指導で作られたとのこと。
 神瀬では出会った軽トラのおじさんが「熊野古道か」と聞いてくれて金網を開けて入る道を教えてくれた。
 ありがたいと思いきや木村さんに「ありがとう」と言って行かれたそうだ。先のおばあさんといい軽トラのおじさんといい、
 本当に嬉しく目頭が熱くなった。金網から山道に入ると苔むした「行き倒れの墓」に出会う。

 熊野古道伊勢路のコースには要所々々に道案や道標があり遠くからもそれと分かる登り旗が立てられているので今は行き倒れになることはないだろう。
 下楠の旧旅籠阿波屋の屋根には七福神が居りレトロな郵便局跡を過ぎるとおもちゃ屋さんと見間違える家がある。
 人が通るとホッホォとフクロウが啼き、招き猫が手を振っている。様々なフィギアが通りに面して陳列されているが値札がないことからもおもちゃ屋さんではないようだ。
 踏切を渡り楠大明神社に寄り道し、16:40本日の終着点JR川添駅で行動を終えた。
  
     
     
     

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三瀬坂峠-瀧原宮

§3    2019年3月12日、 <歩行距離約24km

近鉄京都駅⇒大和八木⇒松阪⇒JR多気⇒JR川添→大谷不動明王→三瀬坂峠→瀧原宮→JR伊勢柏崎⇒JR多気⇒松阪⇒近鉄・伊勢中川⇒大和八木⇒京都駅  
  

3月12日曇りのち晴れ、前回と同様近鉄京都駅から急行橿原神宮前行に乗り大和八木で乗り換え松阪からJRで本日の出発地川添駅で下車する。片道で約3時間半はやっぱり長い。

10:15JR紀勢本線に沿って茶畑を見ながら歩き始める。粟生八柱神社に国土地理院の丸くなった水準点72.4がある。まちかど博物館「奥伊勢」はコーヒーギャラリーとしても営業しているが私たちは先を急ぐ。樋口橋で国道42号線に出合うと道標地蔵が立っている。赤い涎掛けをしたお地蔵様で「右高瀬道 左山田松阪道」とある。緩やかに登り紀勢自動車道をくぐると黒いお城が目を引く。新興宗教の施設のようでその脇に倭姫腰掛岩が祀られていた。ここには弁慶岩があり石室に入ったお地蔵様が佇んでいる。右に国道を離れ未舗装の道を下って行くと案内板に女鬼峠を越えて2番目の峠「定峠」とある。ここにもある八柱神社の前に三瀬の渡しへの近道が工場の横に案内されている。疑心暗鬼に入っていくと熊野古道の登り旗がありほっとする。でもこれが古道なのかとも思う。渡し船を使えばかなりショートカットできるのだが予約もしてないしやはり私たちは歩くしかない。同好の女史お二人が先におられた。三瀬砦跡には立ち寄らず踏切を越えて大谷川を渡ればJR三瀬谷駅に着く。特急が止まるのに無人駅である。旅館や飲食店があり往年の宿場町の雰囲気を今に伝えている。昼時なのでランチタイムとする。駅を出て佐原の信号を越えれば12:45清流の名に恥じない宮川に架かる船木橋を渡る。レンガづくりの橋脚を持つこの橋から眺める宮川の流れは一見に値する。国道には出ずヘアピンを切り返して緩やかな登りを宮川沿いに歩く。かぼちゃ谷川を越えJR船木トンネルをぐるっと回り込めば本日のメイン13:20三瀬坂峠の登り口である。石が散在する峠道の急登で汗が額に沁みだしてくる。先行の女史に追いつくが足に豆が出来そうなのでキネシオを張っていると追い越される。13:50石室のお地蔵様が旅人を見守る三瀬坂峠に登りつく。先行者は大阪の方で本日より6日間で熊野古道を歩くそうだ。先に峠を後にして石ごろごろの急坂を一気に下る。「里」の祠を見て旧道に入ると14:30鬱蒼と杉が生い茂る瀧原宮である。空を遮る杉の大樹が宮をお守りしているかのようだ。古民家の石垣に往年の繁栄を見る。祝詞橋を越え大滝峡にも寄りたいのだが15:00岩屋の神様をみて阿曽に向かう。JR阿曽はとってもかわいい駅。阿曽から柏野まで5kmJR伊勢柏崎へは更にその先で、予定している帰りのダイヤは16:43である。キロ12分のペースにアップし大内山川に沿って国道を出入りして藤ヶ野の集落を越え柏野に入る。案内図にはのどかな風景とか空気がおいしいと書いてあるが脇目も振らず急ぎに急ぐ。大皇神社を右に見て16:40JR伊勢柏崎に到着した。諦めずに頑張れば何とかなるもので、3分前のぎりぎりでした。

 近鉄やJRを使って日帰りで出来るのは今回までで次回からは車とJRを使い一泊二日の行程になります。


     
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里塚石仏碑   三浦峠、神峠-八重垣神社

§4&§5    2019年4月22日~23日、<歩行距離約23km20km

4月22日、JR伊勢柏崎→大内山の一里塚→JR大内山→JR梅ヶ谷→荷坂峠入口→峠茶屋跡→

沖見平→里塚石仏碑→道の駅マンボウ→JR紀伊長島→一石峠入口→一石峠→古里温泉

 4月23日、古里温泉→佐甫道→三浦峠(熊谷道)登り口→熊ヶ谷橋→JR 三野瀬→

始神峠登り口→始神峠→東屋→JR船津→八重垣神社→JR相賀⇒紀伊長島
  

4月22日(月)晴れ、JR紀伊長島に車を置き、§3の終着地であるJR伊勢柏崎まで列車で移動する。駅前の民家に白い藤の花が咲き誇っています。10:20古道歩きの再開です。大内山川に沿ってできるだけ国道には入らず旧道を歩きます。春の川風は爽やかなのですが養豚場のにおいが微かに混じってきます。田植えを終えた田圃の水に山影が映り長閑です。11:35大内山の一里塚を拝し檜林の山道に入ります。江尻橋で国道を渡ればJR大内山です。12:37昼食後街道で出会う中組常夜灯は木製で立派な作りでした。牛乳瓶の上でホルスタインが出迎えてくれる国道沿いのモニュメントに思わず微笑んでしまいます。梅ヶ谷でツヅラト峠への道を右に見て荷坂峠に向かいます。旧道と国道を出入りしていくと庚申堂・地蔵堂・観音地蔵堂に出合い、更に行くと13:40世界遺産・熊野古道「荷坂峠」の入口です。さほど登ったという印象がないままに登り旗の立つ峠に到着です。荷坂峠は伊勢と紀伊の境にあり江戸初期よりツヅラト峠越えより本道として使われるようになったとのこと。茶店跡から細い山道を一気に下ると雑木に包まれた尾根道になり樹間越しに海辺の町が見えます。江戸道と明治道が交差して出会います。江戸道は狭くて急なショートカット道、明治道は緩やかで木漏れ日の爽やかな道でした。片上側の登り口に降りてくれば八咫烏の石標が魚まちに導いてくれます。14:45一里塚の石仏碑を見て国道に出合えば片上池にある道の駅「マンボウ」です。古道ではないが広々とした景色を見ながら池の端の道を行けば15:35JR紀伊長島です。魚まちは漁業で栄えた古い町並みを色濃く残しており、歩いていると津浪避難路の階段が山側のお社・祠・お寺・神社ごとに作られて緊張感があります。537mもある歩道用のトンネルを右に見て国道に合流します。潮風に少し生臭さが残る海岸沿いを歩けば長島造船の大きなドックが目に飛び込んできます。国道を離れ踏切を渡って16:35一石峠の道に入れば要所々々にある案内板に従います。マムシ草が咲いている横になんと絶滅危惧種になっているウラシマ草が長い釣竿を出しているではありませんか。植物園以外では20年以上出会っていません。峠で写真に納まり下って行けば古里海岸が見えてきます。17:10古里温泉の民宿「はま風」さんで旅装を解き行動を終えて早速外湯へ。民宿の夕食は海の幸満載でコースの確認をしたほどでした。

23日小雨、08:00朝凪の古里海岸から歩き始めます。雲は重たく熊野灘の水平線はぼやけています。トンネルができる前に歩かれていた佐甫道に入れば沖の島々が白波もなく霞んでいます。小さなお社の若宮神社に降りて赤い橋を渡れば海岸沿いにでます。道標に従い林道から熊谷道に入ると08:55世界遺産になっている三浦峠の入口です。峠は40分ほどで越えて総檜造りの熊ヶ谷橋に降ります。流失したままになっていたものを世界遺産に指定された際に2200万円かけて再建したとのこと。舗装道路に出れば09:55JR三野瀬、踏切を越えて国道に出合います。おじいさんが一人海辺で沖を眺めていました。さくらの広場があり始神峠の入口です。始神(はじかみ)を元は椒と書き、椒とは山椒魚のこと。大舟川に多く生息していたらしい。石だらけの道が木の根っこが張り出す道となりやがて10:45始神峠に登りつく。江戸期の文人で越後の鈴木牧之が「大洋(おおわだ)に潮(うしお)の花や朝日の出」「まちかねて鶯なくや日の出しほ」の二句を残した峠からは熊野灘の眺めがすばらしい。明治道に合流し江戸道を分岐すると峠道は終わる。11:40立派なトイレがありその隣に古道歩きの人に東屋を提供してくれる民家がある。断わりの声をかけるとおばあさんが出てきていろいろ話を聞かせてくれた。お弁当を使わせていただく。「蟻の熊野参り」を模した木飾りをいただき、自家製のお番茶までご相伴に与った。大舟川は川床を歩いて渡ります。馬瀬から旧道を辿り上里では田んぼの道を歩き、13:00JR船津を過ぎ海山郷土資料館からも国道を出入りして歩く。両足の踵に水泡ができている。さほど痛さを感じることもなくひたすら歩く。思いのほか早く14:10JR相賀にたどり着き行動を終えた。列車を待って15:10JR紀伊長島に戻る。靴を脱ぐとまめが痛い。車で再度古里温泉へ、汗を流して帰京の途に就いた。


     
  
     
     
     
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馬越峠-八鬼山  三木峠・二木島峠・逢神坂峠

  

§6&§7   2019年5月6日~7日、<歩行距離約20km19km

 5月6日、丹波橋駅⇒JR相賀駅→馬越峠→尾鷲→矢浜→八鬼山→名柄→三木里

 5月7日、三木里→三木峠→羽後峠→JR賀田→曽根次郎坂太郎坂→JR二木島

→二木島峠・逢神坂峠→JR新鹿駅⇒JR相賀駅前駐車場⇒竹田駅

 

5月6日(晴れ)、06:30車で丹波橋を出る。歩き始めるJR相賀駅近くの教育会館前砂利の駐車場に車を置き09:13相賀神社から古道歩きの再開です。見どころが多いと案内されている便ノ山神社や種まき権兵衛の里はパスして2004年に発見された発掘石畳を歩き馬越峠を目指す。峠の登り口にはバス停と駐車場があり、伊勢路のガイドブックには必ず案内される有名スポットです。石畳を歩き始めると10:18お地蔵様に出会。明治まで旅人の安全を祈願していたお地蔵様がいつか夜泣き封じの地蔵と役割が変わったらしい。白い石畳に朝の木漏れ日がやさしい。徐々に傾斜が増してくると10:38見晴らしの良いところに出た、二組の先行が休憩している。石畳は途切れることなく、10:52「夜は花の上に音あり山の水」(桃乙)の句碑が立つ馬越峠の登りつく。便石山や天狗倉山を分岐するが私たちは峠を後に下る。石畳の下りは気を使う。石の隙間を割ってタツナミソウが顔を見せている。水場の東屋でランチタイムとする。馬越公園には「くつはむし道に這い出よ馬古世坂」(桃乙)の句碑があり、12:00北川橋へ急坂を下る。野口雨情の詩碑があるが達筆すぎて読めない。調べたところ尾鷲小唄の一節で「魳は港に 杉檜は山に 紀伊の尾鷲は よいところ」であった。墓地の階段を下り、北川橋を渡って街中を歩く、12:35袖片橋の庚申祠を左折れして矢浜町の古道に入る。路地裏や民家の裏庭の横を通り小刻みに曲がり、人に聞いてもこれがと疑うほどで「熊野古道・やのはま道」の案内板がなければ到底分からない。火力発電所の石油タンクを見て矢ノ川橋を渡り左折する。「ままになるなら あの八鬼山を 鍬でならして 通わせる」尾鷲節歌碑から八鬼山の登山口に向かいます。昔巡礼者に「西国一の難所」と言われた八鬼山越えです。今でこそ狼も山賊もいないから当時ほど難所ではないが行き倒れ巡礼供養碑は急登の厳しさを示している。13:30八鬼山越えの道に入る。それにしてもこの急登の道によく石畳を敷いたと思う。ゴットン石を踏めばすぐに「籠立場」で、紀州藩主や巡見使が通った際に休憩したとのこと。一町ごとに地蔵尊が旅人を見守る町石は道のりを示し道標にもなっている。七曲りは山越え中で一番の難所でぐんぐん標高を上げていく。行き倒れ供養碑や桜茶屋一里塚を見て更に登れば14:54蓮華石・烏帽子石に出合う。やっとのことで登りついたと思いきやそこは標高522mの九木峠で、「参ったか」とばかりにまだまだ登りが続く。荒神堂に巡礼や旅人をもてなした茶屋跡がありトイレが設置されている。更に石段を登れば八鬼山峠である。展望所があるが伸びた樹木の枝に遮られて見晴らしは良くない。15:29少し登ると標高647mの山頂である。江戸道に入り少し行くと桜の森広場がある。ここは熊野灘が一望できる絶景ポイントである。青空に巻層雲がうっすらかかり積雲と共に海原と混じりあっている。石の急坂を一気に下る。苔むした石に木の根っこが絡んで細心の注意が求められる。三木里の海が見えてくる。馬越越えを含む4時間の歩きの後に海抜ほぼ0mから山頂を経てまた海抜ほぼ0mまで下るこの登り下りはなかなかしんどい。十五郎茶屋跡を過ぎて16:30民宿に延着の電話を入れる。明治道と合流し16:50八鬼山峠越えを完了する。三木里登口で舗装路に出るが名柄一里塚から再び石畳の道を歩く。三木里ビーチを見て雁木の残る家並みを通って17:30民宿「嬉志乃」に入った。

5月7日(晴れ)、宿の朝食時におにぎりを各自結んで08:00行動を再開する。優しい潮風に包まれて八十川を渡ると杖が立ててあるヨコネ道の登り口です。近年地元の方々で発見整備された道で、まずはご挨拶の急登そして後は緩やかでやわらかな木漏れ日、賀田湾の見晴らしを楽しんで歩く。炭焼き窯跡を過ぎると暫らくで国道に下りる。三木峠の入口にも登り旗がある。09:00三木峠には3分ほど登ると展望所がある。樹木の繁りで絶景とは言い難い。急坂を下りて農道にでる、道標に従い更に民家の裏を縫うように下れば国道に合流する。羽後峠の案内に従い国道から離れると09:30しんこんばしを渡り猪垣(ししがき)に出合います。苔むして壊れているところもあるが積み上げられた石垣が延々と続きます。この道は三木峠と羽後峠を結ぶ古道で近年再発見されたとのこと。山ノ神を過ぎて展望が開けたところがアサギマダラの休息地になっている。猪垣の間を更に行くと再び農道に出ます。ここが羽後峠の登り口です。10:00峠は広い休憩所になっています。道端に立札があり昔お寺や庄屋が発行した「往来一札之事(通行手形)」が候文の原本と活字本そして口語文で紹介されています。身分出所・旅の目的・関所通過願い・死んだ時の事などが記されています。また三つの村の肝煎が連名で大庄屋に猪や鹿の食害に手をやき総延長5760mに及ぶ猪垣の修復を願い出る口上文もあった。今なら鹿ネットや電気柵で手早くできるが人力で石を積み上げるとは本当に気が遠くなりそうです。書物でも読めることですが歩いてこのように読むと当時の人たちの思いがひしひしと伝わってきます。古道は水路を歩き農道から五輪塔へ登り返すと宝永四年と安政元年の津浪を記した立札を見る。古川橋を渡りJR賀田を通り静かに浮かぶ釣り船を見て飛鳥神社手前で水路脇の道に入ります。二宮金次郎が立つ小学校跡を経て11:18曽根五輪塔への階段が曽根次郎坂太郎坂の始まりです。因みに曽根次郎坂太郎坂とは曽根の自領と他領が訛ったもので国境を意味しています。広い苔むした石の道を登ります。石切り場跡から行き倒れ巡礼の供養塔や一里塚を見て11:55鯨石に出合います。正にシロナガスクジラの頭部の様です。さらに九十九折りに暫らく登れば甫母峠です。石室に地蔵尊があり台座に京紫野大徳寺の文字が見られるそうだ。民宿で握ったおにぎりは暖かさが残っていておいしかった。南に甫母へ道を分けるが西に足を向ける。苔むした石と木の根っこ複雑に絡み合った古道というにふさわしい道を登る。12:40楯見ヶ丘にはベンチがあり、新緑の木々の間から楯ヶ崎が見える。峠を下り終えると見る寛保元年の猪垣記念碑は農民と猪との苦闘を今に伝えている。巡礼供養碑を過ぎ二木島湾を見下ろして国道を渡るがすぐに登り返す。13:45漁船が停泊する二木島に下りてきて東屋で休憩する。JRをくぐると民家の間を通りサッシのドアに古道の案内が張り付けてある。これに従い狭い階段を上がる。国道に出るとバス停があり山側の法面に狭い階段がつけてある。これが熊野古道か?。登れば二木島峠・逢神坂峠の案内板がある。石室の巡礼供養碑から20分ほど登れば二木島峠でここからはなだらかな道で15:00逢神坂峠につく。逢神坂(おおかみざか)とは伊勢の神様と熊野の神様が出会った坂とか山中に狼が多くいた坂とか謂れがある。新鹿湾を見て下れば橋間の庚申さんを経て湊川橋を渡る。JR新鹿駅の入口が分からず右往左往、焦るやら気を揉むやら16:09JR新鹿駅で行動を終える。JRで相賀まで戻り帰路につく。
 
     
     
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大吹峠 松本峠 熊野速玉大社

2019年6月10日~11日、<歩行距離約22km10km

丹波橋駅⇒JR新鹿駅→羽田須の道→大吹峠→JR大泊駅→松本峠→熊野市→七里御浜→浜街道→

JR
阿田和駅→雲揚鑑遭難地の小松原→民宿美浜→熊野速玉大社→神倉神社→JR新宮駅⇒JR新鹿駅⇒竹田駅

今年のお正月から毎月1回の例会でお伊勢さんの内宮から歩きはじめ日帰りや泊まりを積み重ねやっと終了点の熊野速玉大社に行くことができました。

6月10日車で丹波橋を出たときから雨で、09:43歩き始めたJR新鹿駅でも傘のお世話になる。前回駅の入り口が分からなかった徳司神社を
 通って新鹿湾を眺めながら国道を歩き始める。10:08JRや国道のトンネルの上を通る波田須の道を登ると「波田須通れば名所がござる 
 西行法師の帰り松」と謡われた西行松のあった茶店跡に出る。鎌倉時代につくられた大きな石を敷き詰めた道は苔むしていて古道の歴史を物語っているが雨に
 濡れて滑りやすく下りでは神経を使う。集落に入り神社を過ぎれば徐福の宮があり10:40寄り道をする。
 白波の立つ海岸の眺めは絶景です。道標が分かり辛く案内書には「とにかく看板を探せ」と書いてある。観音道には行かず大吹峠を目指す。
 
 11:12
峠の入口には東屋とトイレがありランチタイムとする。
 階段状の登り口から苔むした石の道を緩やかに登ると大吹峠で江戸期に作られた猪垣が大観猪垣道として北に延びている。
 滑らないように竹林を下って行くと段々畑の名残りに出合う。12:22峠の口には赤い涎掛けを付けたお地蔵さんがあり、更に下ると鬼ヶ城が見える海岸沿いを歩く。
 海の波は高くなく海水浴場は静かで小降りの雨が沖を霞ませている。大泊の集落では国道の橋を渡り松本峠の登り口に入る。途切れ途切れに続く石畳を登れば
 12:53
松本峠である。大きなお地蔵様があり江戸のはじめに猟師に鉄砲で撃たれた傷が残っている。
 ここから鬼ヶ城跡や展望台など見どころがたくさんあるハイキング道が分岐しているが私たちには長い歩きが待っているので寄り道はせず先を急ぐ。
 弧を描いて延々と続く七里御浜の先が霞んで伸びている。13:31峠を下り笛吹橋を渡れば熊野市街になり古民家の家並みが暖かく迎えてくれる。
 獅子岩が見えてくるので浜辺に下りて歩くことにした。石の浜辺は足が潜って歩きづらいがそこは山屋である、波も穏やかなので獅子岩を下から仰ぎ見上げて歩いた。
 14:06
日本最古の神社と言われる花の窟は観光客で賑わっていた。民家の並ぶ旧街道を辿って行けば熊野本宮と那智への道を分ける立石の道標があり
 14:38
ここで後者をとり七里御浜にでることにした。防風林になっている雑木林の道と海岸の堤防を歩く道が選択できるので海を見て歩ける堤防の道を取った。
 これがまた七里の名のごとく長く緩やかに弧を描いて延々と伸びている。景色もほとんど変わらず短調な歩きで少し飽きてくる。
 歩きを変えるために雑木林の道に入ったがこれも延々と続く。再び堤防の道から国道をくぐり15:42JR神志山駅で休憩を取る。
 ここでも雑木林と防波堤の道を選択できるが雑木林では蚊に悩まされたので後者を取ることにした。JR紀伊市木駅を通り越し緑橋を渡って一里塚から国道を歩く。
 JR阿田和駅から民家の道を辿るがえらく長い町並みで出会った年配の方がいろいろ説明し教えてくれる。
 親切な方で別れてからも私たちのために宿の民宿があるのか軽トラで確かめに行ってくれ帰り際に尾呂志川を渡って国道を歩く私たちを見つけ声を掛けに来てくれた。
 山地の信号を越えればコンビニがあり本日のお宿「民宿美浜」はもうすぐである。ビールを買って17:50宿に入った。
 雨降りの中長い歩きで皆さんお疲れ様でした。お風呂をいただき海の幸満載の夕食でお互いのがんばりを分かち合った。

 11日早朝かなりの雨が降っていた。朝食時に握ったおにぎりをザックに入れて08:00民宿を出るときは小降りになっていた。
 国道から旧道に入り無人市の多い街並みを歩くが平日なので無人市には何もなかった。いつもなら御浜名物のみかんが並んでいたことだろう。
 馬場地踏切でJRを跨ぎくねくねと細い道を緩やかに登り横手地蔵への道標に従う。熊野灘を見下ろす景色に出合えば狼煙場跡に着く。
 病気平癒のご利益があるとされる横手延命地蔵の脇には疳の虫に効く湧水が流れている。下り始めると道標と案内図の道がちぐはぐで煩わしい。
 紀宝バイパスを跨ぎ新興住宅地を歩き再び飯盛の信号を渡ると粥森様の石碑が古木に守られている。新宮まで2kmの道標がある。内宮から歩きはじめやっとここまで来た。
 大峪踏切を渡れば古い町並になり熊野川沿いの国道にでる。
 先に私たちを見つけていたのと思われるが年配の男性が出てこられ熊野古道の調査をされているとのことで私たちに浜街道の木札をくれた。
 成川の信号で熊野大橋を渡る。10:10ゴールの速玉大社に入りみんなで並んで社殿の門をくぐって本殿で参拝を済ませた。
 雨は降り続いており計画では那智まで行く予定にしていたがみんなで相談して中辺路は宿題としてセクション9はここまでとした。
 
 時間に余裕があるので神倉神社を詣でることにした。熊野三山が大神を祀る前に降臨したとされる神社である。
 朱色の鳥居があり、参道の大きな石の階段が半端でない傾斜で上へ伸びている。熊野古道の中の最古道、思わず「またかぁ~!」と声に出かけた。
 雨に濡れているし段差は大きく幅が狭い。登れば降りなければならない。11:05登りついたところに峻岩「天の磐盾」があり朱色の社殿が建てられている。
 伊勢路の中でもこの下りはもっともスリルがあった。11:47JR新宮駅で行動を終えた。列車待ちに時間がたっぷりあるので宿で握ったおにぎりでランチタイムをした。

 自分へのご褒美に熊野唯一の地酒「太平洋」を求めた。14:07車をデポしたJR新鹿駅に戻り、前回もお世話になった古里温泉で汗を流し帰路についた。


               
     
     
     
 
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